師匠とお友達とのグループライン。
今度ランチに待ち合わせる場所が東京駅近郊。
「”帝都物語”の舞台みたい!」
「そうなんですよね~♪」
盛り上がる会話、何のことやらわからない私。”帝都物語”を慌ててグーグル検索。
小説なのね、とにかく皆さんが聡明で素敵な人達だということは分かった(笑)
そう言えば、私、高校時代は地元の進学校で受験勉強して(その進学校を選んだのも、「強豪合唱部に入りたい」、「都会の学校に行きたい」という理由だが)、
地方の国立大学の英米文学科を卒業した。
そういう文系学科を選んだ経緯から行くと、小説とか歴史とかの教養がありそうではあるが、
長い小説は読むのが苦手だし、歴史の理解も暗記も苦手。
夫には「え、大学出たんだよね、そんな基本的なことも知らないなんて日本の受験勉強の弊害だね」とまで、
たまに驚愕されるほど(笑)
英米文学を選んだのも、文学は興味ないけれど、英語も好きだし、超かっこいいゴスペルとかそういう文化を育んだ国について
勉強したかったから。
それでも、卒業論文は小説をテーマに書いた方が、教授的にも指導しやすいのかそんな理由で、
「え~好きな小説とか作家とか特に興味ないんですけど…」と困惑の中、大学生協の本屋さんをうろつき、
ぱっと目に留まった綺麗なティファニーブルー色のカバーの”ティファニーで朝食を”を選んだ。
(結果的に、オードリーヘップバーンの映画の印象よりも深~い作品であることがわかり、当時私が夢中になっていたアメリカという国を深堀りし、作者トルーマン・カポーティの世界に引き込まれた貴重な経験となりました。)
そんなことを思い出しながら、お風呂に入っていると、
そういえば私、こんな事例山ほどある、ということに気づく。
中学時代のバレーボール部。走るのも早いしジャンプ力はあるが、球技が苦手だから、総合的にバレーボールは苦手で補欠。
高校・大学時代の合唱部。歌は得意だが、楽譜を読むのは苦手だし、習っていた割にピアノもあまり弾けない。(ピアノが弾ける方が何かと重宝される)
細かく挙げればきりがない。
ここは得意で苦手、ここは興味あるけど少し隣のそこは興味ない。
着物についてだって、自分の好きな領域はきゃーきゃー言うけれど、
同じ着物でも自分の好きな領域以外は、あ、そうですか、という感じで。
少し前まで、「着物好きと公言する者ならば、全分野に興味があって詳しくなければならない!」という価値観に縛られて、
自分の好きさえも自分で認められなかった。
だが、こうして自分なりの好きをブログに書いている効用なのか、
好きなことも得意なことも「超」部分的でいいじゃん、無理に領土拡大しなくていいじゃん、そういう好きも面白いじゃん、
位の軽いノリになってきたことに気づく。
軽く好きだと言えるようになった方が、毎日が勝手に楽しい。
今所属しているママさんのゴスペルサークルでもそうだけれど、
わたしがピアノを弾けないから、ショッピングモールに営業してライブ場所を勝ち取ってくるなんてことができないから、
そういうことができるメンバーが次々と現れるものなんだよな~。
苦手なままでも支障がないこともあるし、苦手を克服するタイミングが勝手に現れることもあるし、
「わたし、ここは苦手です!」と言える方が仲間に恵まれるのかなぁ。
得意と苦手について色々考えさせられました。
★写真は近所の和菓子屋さんのハロウィンのおばけ饅頭👻おいしかったです。
そういえば、和菓子は好きだけれど、食べるのは実はあまり得意でない(笑)