生き方

祖父の冥福を祈って

先日、山形の母方の祖父が他界しました。

享年85歳。

今日は、
思い切り自分自身のために
ブログを書きたいと思います。

というのも、
「葬儀に県外からの参列者はご遠慮ください」という
葬儀場の方針により、
お通夜と葬儀への参列と帰省を
止めたからです。

お通夜と葬儀という儀式。
死という現実を味わうのは苦しいけれど、
わんわん悲しみに浸って
親戚や近所の方々と
故人について「あぁだったね、こうだったね」
なんて話して、また悲しみに浸る。

なんだか、
そんな儀式をうっかり通り過ぎること。

それは、わたしにとって、
心と体の奥にある深い悲しみを
心と体の中から出してあげられないような気がするので
今回ブログを書くことにしました。

悲しみに自分から浸りに行くようですね。

今この悲しみを味合わないと、
自分にうそをつくというか、
悲しみが大きなかたまりになって
数年後か数十年後に良くない形で噴出するような
気がしたから書いてみます。

祖父の死は、
突然のようで突然でない、
命の終わりを感じさせる伏線が
何度かありました。

2年前の冬、
祖父は親戚といった温泉で
足を滑らせ頭を打ちました。

一命はとりとめたものの、
脳出血により、
記憶障害、言語障害が出ました。

しかし、退院後、
祖母と二人暮らしの自宅暮らしを過ごすにつれ、
ケアマネージャーなど行政の方のお力もあって、
介護施設などに通うことなく、
記憶と体力を取り戻し、
普通の会話ができるまでに回復しました。

その後、
祖母は2シーズンに渡り、
さくらんぼ、桃、ラフランス、リンゴの果樹栽培を
祖母とともに遂行しました。

その回復ぶりにはびっくり。
農作業を通して
生まれた場所の大地のエネルギーを
しっかり受け取っているように思いました。

倒れた際には病院に駆け付けたわたし。

寝ている祖父の足裏を揉みました。
「脳のツボは親指だな」
って少しでも血流が行くように。

その時の祖父の足。
入院患者なのにもかかわらず
ふわふわと柔らかく、
生命力を感じたことを
覚えています。

その後も、
一度転倒して頭を打って入院する事態があったものの、
また回復して農作業に復活していたのでした。

祖父は、農家の3人兄弟の末っ子長男で
学校の成績は良かったものの、
高校へは進学せず
実家の農業を継いだ人。

居間に辞書を置き、新聞を毎日読む。
漢字の書き順を間違えると怒る。
学歴ではなく、
謙虚で真摯に学問に向き合うような祖父の姿が
幼かったわたしの誇りでした。

頑固者で毒っぽい冗談も言っちゃう祖父は、
娘であるわたしの母や息子である叔父と
たまに喧嘩をしていましたね。

母の実家は、わたしの実家から車で数分の距離にあったので
幼いころから月に何度も遊びに行っていました。

わたしは両家の初孫でしたので、
初孫特権で両家のじじばばからは大変可愛がられたようです。

小学校のころの習い事の送迎をしてもらったり、
そして、里帰り出産のために帰省し、
ペーパードライバーだったお腹の大きい私を
産前検診の病院まで送迎してもらったりもしました。

「初孫特権」を成人になってからも
バリバリ行使しちゃいましたね。

という訳で、母方の祖父母ながら、
結構密な接触と繫がりがありました。

今回亡くなった引き金は、
やはり転倒して同じように頭を打ったことの脳出血でした。

「3回目はさすがに厳しいか…」
亡くなる前日の夜。
母の電話で祖父の転倒からの入院という事態を聞き
こう思わずを得ませんでした。

翌朝、わたしの氏神様の神社にお参りしました。
もう困ったときの神頼み。

「わたしの今年の運、ぜんっぶ使っていいですから
祖父を助けてください。」

朝7時の神社。
こらえていた不安が溢れて
嗚咽して泣きました。

そして、帰宅し、幼稚園へ出かける直前に、
母の電話で訃報を聞きました。

なんとなく、予感はしていたのですが、
あぁ、もうじいちゃんに会えないのかと思うと
悲しくてたまらなかった。

盆や正月、そしてさくらんぼの時期の帰省で、
わたしの娘の顔を見せること。

ひ孫である小さい子どもを見て
表情がぱぁっと明るくなる祖父母。

それがなんだか私の大事な仕事な気がして
埼玉から新幹線で3時間の山形まで
帰省していましたよね。

あぁでもこれからは帰省しても
あの茶の間に祖父はいないんだなぁって。

自転車を漕ぎながら思ったのは、
あぁ、なんでもない一日を、
こたつに入ってあったまって
テレビを見たり、
ばあさんの作る夕飯を食べて寝る、
ただ何でもない平和な一日を、
あと一日、
冬が終わるまで、
春の息吹が感じられる季節まで
新そばが美味しい時期まで、
そう、あと何年も、
過ごしてほしかった。

自分勝手ですけど
なんだかそう願いました。

85歳まで、ほぼ元気に生きた祖父。

命を全うしたと言えば、
きっとそう言いえるのだと思うけれど、

ひ孫までいて、
自分を心配してくれる家族、子ども、孫たちがいて、
「止められない止まらない」の
農業という仕事を生涯全うして生きた祖父のことを
わたしは幸せ者だと思うけれど、

それでも惜しくて悔しい。

「わたしの今年の運、ぜんっぶ使っていいですから
祖父を助けてください。」
と神社でお願いしたけれど、

おそらく祖父は、
「そんなもんいらねず」
とふんって、突き返すだろうなと。

孫からもらった恩を倍返しで返すような人たちだったなと
思い返しました。
上の世代から下の世代に、
与えるのが当然、というような。

それは、脈々と祖父のご先祖様から
最上川のバカみたいな水量のように流れてくる
恩や愛や徳などの様々な贈り物を受け取った結果だったのかな。

わたしも、バカみたいな量の贈り物を受け取って
流されながら、次の世代にバカみたいな量の贈り物を
渡すんだろうな。がんばらないとね。

それでも、正月に家族そろって帰省して
顔を見せられたことは
わたしにとっての心の救いでした。

少ししたらお参りしに帰りたいと思います。

わたしも体と心にぼかっと大きな穴が開いたような状態ですが、
それもそれでじっくり味わいます。

なんでもない平和な一日を
家族やご縁のある方々と
大切に過ごします。

あ~、じいさん、悲しくて辛いよ。

(★花びら餅を初めて買いました。甘いもの大好きだったじいさん。)

 

 

 

 

 

ABOUT ME
はるかふる
心豊かに生きると決めた子育て主婦の「くすっ」と笑えてたまに深いかもしれない日々を発信。|活動拠点は週1ペースの無料メルマガ。Twitterとインスタのフォローもお待ちしてます♪
はるかふる公式メルマガ
はるかふる公式メルマガ配信中

無料メルマガ配信中です

ご登録はこちら