(この記事は2021年7月に配信したメルマガ記事に
加筆・修正したものです)
メルマガ配信を約1か月お休みしました。
7月後半から色々ありまして、
からの
年に一度の沖縄への家族旅行に突入で
しっかりお休みしました。
今日は色々あったことを書きますね。
34歳。健康診断で初の再検査。
結論からお伝えすると…
再検査の結果、
無事でした。
よかった~。
7月後半に
子宮頸がんの再検査
↓
(再検査から1週間後)
検査箇所からの大量出血
↓
(約1週間の)
貧血デイズ
↓
検査結果発表
↓
沖縄への家族旅行
という日々で、
色々なことに気づかされました。
よろしければお付き合いください。
(★沖縄のビーチサイドで寝転ぶ娘。
南国の青空、いいですね~↓)
「がんかもしれない」と言われたら…
7月中旬、
健康診断の結果を聞きに行きました。
診察室で、
「子宮頸がんの再検査が必要です」
と言われました。
頭が真っ白。
オプションで受診した子宮頸がんの検査。
2年ぶりの検査でした。
「え?わたしが?がんの可能性?」
「がん、って、余命?抗がん剤?」
「わたしまだ34歳で
こどもも小さいんですけど?」
動揺から気持ち悪くなってしまい、
15分程病院のベッドで休んでから
お会計へ。
お会計を待つ間、浮かんできた思い。
それは
「わたし、子育てがしたいなぁ」
でした。
その後で、
「もっと着物だって着なくちゃならないし、
ベース教室で楽しいこといっぱいしたい。
ゴスペルだって全っ然歌い足りない。
やっと嫌なこと辞めて
平和な毎日になったのに…」
という思いでした。
(着物に勝手に義務感を感じているあたりが
我ながらおかしいけれど…)
「生きる時間が限られているならどうする?」
という問いに、
ショッキングな形ではありましたが、
「子育てがしたい」
という自分の中の本音に気づけたのは
不幸中の幸いでした。
病気であってもなくても変わらないこと
再検査結果を待つ2週間は、
とても長く感じられました。
体調に変わりはないけれど、
「万が一がんだったらどうしよう」
と考えると、
途方に暮れる気持ちになりました。
なので、
せめても余計なネガティブモードにならないように
とにかく早く寝ていました。
ある朝、
幼稚園年少の娘の髪を結んでいるとき、
「生きている時間が限られているのなら、
毎日愛情をこめて結んであげたい。
お母さんはあなたが大好きだと
伝わるような毎日を送りたい。」
と思ったのです。
でも、
それって、
よくよく考えると
仮に今
「がんです」と言われても、
「がんじゃないです」と言われても、
「命には限りがある」
という絶対的な事実から見たら、
わたしが今やるべきことは
基本的におんなじなんじゃないかと。
「余命」のようなものが示されたら
「今を大切に生きる」
とリアリティをもって感じられるのだと
思います。
でも、
確率は低いとしても、
今日や明日、
天災や事故で命が絶たれるというのは
誰にでも可能性はある。
今までに沢山の人が、
昨日とは何の脈略もなく
突然お亡くなりになったのだなと。
「なんだ、おんなじだ、
ただ、気づかないだけなんだな。
それでもがんじゃない方がいいけど。」
と、
娘の髪を三つ編みしながら思ったのでした。
夫のサポート
夫に再検査のことを伝えると、
「仮に治療が必要ならしっかり治療しましょう。
安心してね。」
という返答。
その後、夫は
健康情報に詳しい複数の方に聞いて
書籍や予防療法を調べてくれました。
夫は言葉よりも行動で示してくれる
頼りになる人だと思いました。
その書籍を2冊取り寄せて読みました。
うち1冊には、
がんを予防し進行を抑える
具体的な生活習慣の紹介がありました。
(外科医師の書いた本です)
よく考えると
それらはすべて基本的なことでした。
①適切に食べる
②よく寝る
③適度に運動する
④よく温まる
⑤よく笑う
予防の観点が豊富に盛り込まれており
参考になりました。
必要な方がいらっしゃいましたらどうぞ。
『がんが消えていく生き方
外科医ががん発症から13年たって
初めて書ける克服法』
早速、適度な運動として紹介されていた
「早朝ウォーキング」を取り入れました。
6時から8時までの間に、
30分間朝日を浴びて歩く。
早起きは苦手な今までのわたしからしたら
信じられないことでした。
眠いけれど気持ちが良かったです。
1週間の早朝ウォーキングを続けた夜、
また事件が起こったのでした…
再検査した箇所からの大量出血
再検査をして1週間が経った夜。
生理の経血量も少なくなってきた時期に、
生理なのか何なのかわからない
大量出血に見舞われました。
不幸にもそれは日曜の夜。
夜間対応できる病院に連絡を取り、
一晩安静にして、
万が一の際は救急車を呼ぶことを
夫婦で決めました。
「再検査の医療ミス?」
「それとも新たな病気?」
脳内で様々な憶測が飛び交いましたが、
ひとりで考えても
仕方のないことばかり。
翌日、
娘は幼稚園に通園の予定があったので
「一緒に幼稚園行こうね」
と自分に言い聞かせるように
娘に言いました。
(翌朝はさすがに夫に送迎をお願いしました)
「あぁ、
徒歩5分の幼稚園に娘を送っていくこと。
ママさん達と笑って世間話をしながら
帰宅すること。
今まで楽勝だと思っていた日常は、
健康な体があるからできることなんだ…」
貧血で心も体も弱りながら
眠りにつこうとする中、
そんな思いが込み上げてきました。
「自分のこと、過小評価しすぎだわ、わたし」
って。
わたしが今までの日常が送れなくなったら、
夫も子どももと~っても困るんだ。
それだけわたしは大切なんだって。
翌朝、
病院での診察の結果、
再検査をして細胞を取った箇所からの出血だと分かりました。
医師の説明によると、
稀ではあるが
時間が経ってから出血が起こる場合もある
とのこと。
処置の後、
病院のベッドで2時間ほど休み、
止血を確認してから帰宅しました。
「出血止まってよかった~(涙)
めちゃくちゃこわかったぁぁぁ」
もう、それしかありませんでした。
病院のベッドは、意外と居心地が良く、
休みながら
「なんだかわたし、
静かなところで
子どもや夫の心配せずに
ひとりで休みたかったんだ」
と感じました。
たった2時間の休息でしたが、
病院ではお医者さんも看護師さんもいて、
子どもと夫とも離れている環境だったわけです。
なんだか、
出産してから地味に満たされたなかった思いを
満たしたのかもしれない、と感じました。
こんなハプニングを伴う形だったけれど…
こんなハプニング、もう嫌だけど…(笑)
貧血デイズで感じたこと
出血は止まりましたが、
生理終了後からの大量出血だったため、
軽い貧血になりました。
いつもより疲れやすかったです。
日ごろから摂っているヘム鉄のサプリメントと
病院から処方された鉄剤を飲み、
できるだけゆっくり休んで1週間。
体調が通常に戻りました。
あと、
ヘム鉄の豊富なレバーの焼き鳥を食べました。
やっぱりレバーを食べると
「ドン」と元気が出ました。
この回復期にありがたかったのが、
夫ができるだけ家にいてくれたことです。
仕事を早く切り上げて
「子どもを散歩に連れ出すから昼寝してね」
など具体的に行動してくれました。
夫曰く、
貧血で真っ白になった顔を見て
「これは大変だ」と感じたそうです。
色が白くてよかった。
違うか(笑)
そして再検査結果が出た
出血騒動から1週間。
体調が戻ってきたときに検査結果が出ました。
結果は子宮頚がんではないとのこと。
厳密にいうと、
がんになる前の細胞の軽度の異形成が見られるものの、
この異形成は7割が何もせずとも治り、
異形成のうちの3%が約5年をかけて
がん細胞の初期に到達するとのことでした。
わたしの解釈では、
がんになる可能性は低くとも
ゼロではない。
だから、
これからはできるだけそれを予防するために
心と体に優しい思考と生活をする。
そう決めました。
2週間待ちに待った結果で
大喜びするのかと思いましたが、
大喜びのシミュレーションをしすぎたためか(笑)
ごく冷静に結果を受け止めている
わたしがいました。
完全に余談ですが、
自分の結婚式で、
両親はの手紙を読んだ際も
感動するシミュレーションをしすぎて
当日は全く泣かずに、
大きな声で堂々と手紙を読んだ自分を
思い出しました。
そして検査結果を聞いた2日後、
沖縄旅行に旅立つのでありました。
あ~本当に良かった~
本日はここまでです。
実はまだまだ書いていますが、
次回お届けさせてもらいます^^
1か月の出来事盛りだくさんでしたが、
ここまでお読みいただき
本当にありがとうございました。
『がんが消えていく生き方外科医ががん発症から13年たって初めて書ける克服法』