(この記事は2022年3月に配信済みのメルマガ記事に
加筆・修正したものです)
ゴスペルライブの準備中
ママゴスペルサークルで、
4月にショッピングモールでのライブが決まり
いそいそ準備をしています。
メンバー2人が職場復帰する直前のライブ日程。
ショッピングモールの方から
お声がけいただいて出演。
なんだか職場復帰する2人に
エールを送るかのような日程の決まり方で、
職場復帰「しない」わたしも嬉しいです。
短いフレーズだからこそ。
今回のライブでも、
ありがたいことに
2曲のソロを担当することになりました。
そのうちの一曲が、
ブロードウェイミュージカル「レント」の
「seasons of love」。
今回のライブでは、
原曲では男性が歌う
短いパートを担当することになり、
正直、
「短い方か〜ちょっと残念」
と思ったのですよね。
「他のメンバーの方が長い方を上手に歌えて
今後ソロをできなくなったらどうしよう〜」
「自分にコントロールもできない妄想」に
取り憑かれた一瞬もありました(笑)
が、
自分にできることは
練習と本番を含めて
与えられたソロをやり切ること。
いい意味で
やり直しのチャンスはないと思って
取り組むしかありません。
細かいアレンジの参考にと、
YouTubeで改めて聞いたこちらの動画。
↓↓↓
これは、
アメリカの「glee」という
人気テレビドラマシリーズの出演者陣が
歌っているバージョンです。
わたしの担当するパートは、
なんと4人が
ひとフレーズずつ歌っています。
(そしてこのうちの2人が
実は亡くなっているという裏話も…)
これを観て感じました。
「わたしの歌うパートが短いだなんて
言っていられない…!
この人たちはもっと短いフレーズで
心を揺さぶる音を作っているのだ」
こんなに短いフレーズでも、
演じるキャラクターに沿った
歌い手ごとの表現が如実に感じられました。
2人目の彼は、
リズムとメロディにあまり変化を加えずに
クラシカルな印象。
3人目の彼は、
ちょっとやんちゃなキャラクターが
原作である「レント」の雰囲気を
踏襲しています。
こんなに短いフレーズに
それぞれの表現が詰まっている真剣勝負。
それは、
情熱的に歌う、
という選択肢だけでなく、
あえてサラッと歌う、
あえて変化を付けずに歌う
ということも含む。
すごいなぁ。
という訳で、
ライブまでの1ヶ月ちょっと
このフレーズの研究が始まります。
追い詰められて
出てくるもの
前回のレッスンでは、
もう一曲のソロの曲
「you raise me up」を練習しました。
初めてソロをやる曲で、
先生に教わりながらの練習でした。
我がゴスペルサークルでは、
各地区のレッスンを経て、
どんどん先生のアレンジが加わっていきます。
ソロアレンジも然り、
数年前のものから
いくつもの変化がありました。
「ここはこんな感じ。
じゃ、歌ってみて、ワンツー」
という感じで、
ハイペースにソロ練も進行したので、
久々に手先が冷たくなる緊張を覚えました。
心の中では
(えぇ、初めてだしまだ100%覚えてないけど…)
と思いながら、
レッスンを止めるわけにもいかないし
やるしかないとやってみる。
大変だったけれど
すごく楽しかった。
集中して覚えて、
それを自分のフィルターを通して歌って、
また修正が加わる。
みんなで歌うコーラスでは
まわりと合わせることが第一に大事ですが、
ソロのアレンジでは、
細かな部分はわたしに委ねられています。
だから、
メロディも完全なる先生のコピーではないし、
もちろん声も異なります。
大枠の音楽の方向性は共有したうえで、
自分の色を出していい。
その相互作用を
緊張感の中で感じられたことが
嬉しかったのです。
あとは、
おそらく信頼されているからこそ、
「じゃ、やってみて」
という無茶ぶり感。
責任があるからこその
それに応えたいという思い。
こういうプレッシャーなら
もっと浴びたいと思いました。
わたしは高みを目指している
「ママゴスペルサークル」の目的としては、
「ストレス発散♪」
「仲間づくり♪」
というような、
「元気な状態になる」という
音楽の土台となるような
大きな目的があります。
でも、
それだけじゃ全っ然足りない。
そんな
声を出すだけで満足するようなところで
止まっていたくない。
それは本番前の土台の話。
そんな土台を元に、
わたしは、高みを目指したい。
音楽で表現できる自分、
自分たちを開拓したい。
音楽をもっと分かるようになりたい。
小学生のとき、
山形の実家のテレビの前で心を鷲掴みにされた
「天使にラブソングを」
のソロの歌声を聴いたように
自分の心が、
山形の実家の茶の間から
アメリカの教会に連れていかれるような経験。
合唱部で歌っていてぴたっとハモったときに
ぞわっと鳥肌が立った経験。
頭の中の言葉が消えて、
心がどこかに飛んでいく経験を
自分自身がしたいし、
自分じゃない人にも
そんな経験を届けたいと思う。
心が奪われること、心が動くこと以上に
尊いものなんてないとわたしは思います。
わたしの音楽が何の役に立つのだろう、
誰を助けて勇気づけるのだろう、
という問いは何度も浮かぶけれど、
あんな声を出してみたい。
あの響きの中にいたい。
憧れの声と響きへの憧れは、
ずーっとわたしを照らして導いてくれる光。
憧れの光の美しさに
なんども絶望してくじけそうになるけれど、
「あの光に近づきたい」
という思いだけ。
その思いがあるから
やるだけなんですよね。
そして、
子育てと両立しながら
ゴリゴリと音楽と向き合える今の環境には
とても感謝しています。
追い詰められて嬉しいもので
人生を満たす
追い詰められて
辛いけれど嬉しい。
やってみたい。
そんなものにできる限りの時間を割いて
エネルギーを注ぐ。
わたしはそういう生き方をしていたいし、
そういう人と関わっていたい。
エネルギーを注ぐ先が、
「女性管理職になって
会社の事業の発展に役立つこと」
そうだったら、とってもわかりやすくて
お金も社会的地位も得られやすいと思う。
でも、
誰の役に立つかはわからないけれど
熱量が高くて自分自身の心が動くものは
自分以外の何かをも動かす力があると思う。
多分。
さて余談ですが、
中学時代はバレー部でした。
バレーボールは苦手で、
毎回サーブが飛んで来るたびに
「わたしのところに来るな」
と思っていたし、
「練習が台風で休みになればいいのに」
って毎回思っていました。
1学年2クラスの小さな学校で
部活動の選択肢があまりない中で選んだ
バレー部。
たくさんの事を勉強させてもらった
あの経験も変え難いけれど、
選択肢が自分にあるのならば、
「よっしゃ、なんでもこい!」
と心から思えるものに対峙していたい。
「これは嫌〜」
のバレー部の経験があったからこそ、
その対比としての
「よっしゃ、
ソロでもほかのパートでもなんでもこい!」
の合唱部の喜びが分かったといえば
そうなのかも知れないけれど。
なんだかんだ…
ほわほわしているように見せかけて
真剣勝負をしたいということも
分かってきました。
ほわほわした交流
という土台があるからこそ
真剣勝負に挑めるのかもしれませんし、
どちらも必要な要素なのかもしれません。
平和な中で高みを目指すのです。
実は高みを目指す女たちが
ほわほわ交流するコミュニティ
(おいおい仮にも仮過ぎる・笑)
があればいいのにと思うので
そのひとつを作るのが
わたしの今年の課題です♡
本日もお読みいただき
ありがとうございました。
(★そして無事にライブを終えたのであった♡↓)