東京・上野の東京国立博物館で開催されている
「琉球展」に行ってきました。
来週行こうと思っていたんですけれど、
「あれ今日暇じゃないか、
そして涼しいし晴れている」
と、少し前倒しで行きました。
歴史が苦手なもので、
沖縄の歴史はざっくりしか知らないのですけど、
今回は戦争などの歴史展ではなく、
琉球王朝の変遷とともに、
古文書や工芸品、着物、像などが
展示がされていました。
インスタでフォローしている
琉球紅型の作家さん(「びんがた工房くんや」さん@bingata_kunya_gibo)が
「博物館を出るときには
なんだか胸を張って
歩いていた僕でした。」
と琉球展の感想を投稿されていて
なんだかその言葉が
わたしの心にも残っていました。
だから何だという訳ではないのですが
先人たちの偉業を見て
先人たちから勇気をもらう
ということはあるのかもしれません。
螺鈿細工と着物(王朝時代の数々の衣装のこと)
を続けて観たときに、
何だか涙が溢れました。
言葉にしちゃうとチープになっちゃうのですが、
この世にこんなに美しいものがあるんだなぁって。
なんかね、
着物は身に纏うものだから
より織るとき、染めるときの
何かへの「祈り」みたいなものが
のっている気がして、
これを書いているスタバでも泣いているわたしです。
ほんとに怪しい…
妄想かもしれないけれど、
あの高温多湿な沖縄の地で身にまとうのに
風と湿度が抜けるような布と
自然の畏怖へのリスペクトを感じる色合いと柄に
たくさんの名もなき人たちが積み重ねてきた大きなものを
感じずにはいられないのでしょうか?
自分でも良くわかりません。
王朝や身分制度の良し悪しではなく、
そこには長らく尊ばれていた人たちがいて
高貴な人が身につける衣装やら
外国の王への献上品やら何やらで
職人による芸術が発展して来たのだなぁと。
あとはね、
琉球王朝から他国へ送った古文書で
あ、パソコンないから手書きなんだ、
漢字一文字一文字が
めちゃくちゃ綺麗だ、と普通に驚いたり、
相手国への敬意を示すために
相手国の人の名前を他の文章よりも高い位置に書いたり
ちょっと面倒臭かった会社員時代の
社内メールのルールだとかを思い出したりしました。
(宛先の順位は偉い人から、とか)
あとは、
琉球王朝の偉い方の書いた書。
当時の高官は、
書道も教養の一つだったそうで
それはそれは、ハネ、トメのひとつとっても
見惚れるほどでした。
教養。
おそらく自分が感じたのは、
自分が見惚れるような事柄と
果たして
それは現代で大切にされる事柄なのか?
というギャップについてのうんぬんでした。
字が綺麗なこと。
相手を尊んで、
相手を立てたコミュニケーションができること。
小手先のやり方なんぞでない
教養が備わっていること。
古文書の漢字たちは
そんな「王道」の「大切なことたち」を
「バン!」と示してくれました。
どちらかというと
表立たない
わたし好みなこれらの素養。
時の流れの早い現代で
一体どれだけ役に立つのかなぁと
ぼうっとしてしまう類の素養です。
でも、大切にしたいことは
大切にした方がいいんだ。
何だかそんなことを思いました。
時代の流れはちゃんと汲みつつ、ですけど。
歴史のあるものや手のかかったものは
やっぱり
どーんと胸にくる迫力がある気がします。
とか言って、美術館や博物館は
「モヤさま」的に
さらさら巡りがちな女ですがね。
「ひとつ本を読んだから
ひとつ生真面目にブログを書くなんて
クソつまんないことはしないわ。
アウトプットは自分のしたいときに。」
朝上野駅の公園口の改札を出るときに
そんなことを思っていたのに、
琉球展を見てスタバに駆け込み
いそいそとブログを書いているわたしを
笑ってください(笑)
いいのいいの書きたいときだったの(笑)
今日もお読みいただき
ありがとうございました♪
(★東京国立博物館のお庭の白詰め草。
これで何個花輪を製作できるだろうと考えちゃう山形県民。)